カミュの旅は、ニーナが最後に姿を消したアカネイアの王宮から、足跡をたどるようなものだった。痕跡は薄く、極めて困難な旅だった。
人々が語るわずかな噂、ささやかな手がかりを拾い集め、彼は北へと向かった。彼女が、今は亡きハーディンの故郷へと向かった可能性も否定できなかったからだ。
やがて彼は、かつて自身が「カミュ」としてニーナを守るため、一個大隊を退けた戦場跡へとたどり着いた。荒れ果てた大地には、戦いの爪痕がいまだ色濃く残っていた。焦げ付いた土、マムクートの変身後の巨体で根元から折られ朽ちた木々、そして点々と残る剣や槍の残骸。彼はそこで、ニーナを守るために命を賭した記憶を鮮明に思い出した。あの時、彼は「自分の命でよければ、いつでもやれる」と心から思っていた。
戦場跡を抜けさらに進むと、村はあったが、そこに彼女はいなかった。ただ、話を聞けば、村からずいぶん離れた小さな家に住み着いた人がいるという。それを手掛かりに進んでいけば、切り立った崖に隠れるような場所に小さな家屋がぽつんと建っている。元は猟師小屋か木こり小屋か、とにかく小さい家だ。そこに、ゆっくりと近づいていく。
人目を避けて村から離れて隠れ住むなど、訳ありだと言っているようなものだ。怪しい。もしかしたら、何か知っているのではないかと、その家の住人がやたらと気になった。やがて、小屋ともいえる小さな家屋に到着したカミュは、ひっそりと玄関先に咲く花に目を留める。ブルーベルだった。どこかから植え替えたのか、ひっそりと慎ましく咲いている。
それを見て、カミュの胸が高鳴った。直感的に、この家に彼女がいることを確信したのだ。
人目を忍び、山奥の村からさらに外れたところで、花を愛でるような趣味を持つ者は少ない。人は、生きることに精一杯だからだ。しかし、彼女は花を愛していた。あのパレスで、庭園で、花を眺めて語らった日々が思い出される。
あのとき、彼女はどんな顔をしていただろうか。ブルーベルは不変と希望を意味していると言っていた。彼女の、変わらぬ思いを象徴していたはずだ。
それが玄関先にある。小さな鉢植えに、ひっそりと。周辺にはブルーベルの群生畑はない。わざわざ取って来たか、種を植えたか、どちらかだろう。
そんなことをつらつらと考えながら、カミュは扉へと近づいた。恐る恐る、年季の入った木製の扉にぎゅっと握りこんだ拳を当てた。
コン、コン、コン。
扉の向こうからは、何の音も返ってこない。静寂だけが、彼を包み込む。
心臓が、耳元で激しく脈打った。何分待っても、誰も出てこない。だが、彼は諦めなかった。彼の視線は、かすかにカーテンが揺れる窓へと吸い寄せられた。誰かの気配が、確かにそこにある。彼は、扉の向こうにニーナがいることを確信しながらも、その胸は期待と不安で締め付けられていた。