「カミュ」は、アカネイアの消息を探っていた。特に、ニーナの動向が気になった。しかし、王都を離れて久しい彼のもとに届くのは、確かな情報ではなく、あいまいな噂話ばかりだった。
仮面をつけたまま、時に傭兵として、またある時はただの旅人として身を潜め、彼はアカネイアを目指していた。彼の心は、もう「待つ者」の幻影に囚われることはなかった。ただ、ニーナの姿だけが――遠く、焦がれるように、心を支配し続けていた。
そしてある日。アカネイアを望むまで、あと一歩。今はアリティア領となったグラの宿でのことだった。帳場の陰から聞こえた会話に、思考が凍りつく。
「……聞いたか? アカネイアのニーナ王妃が、行方知れずになっているとか」
「まさか! 聖王マルスの戴冠を終えたばかりだというのに」
「何でも、自ら王座を辞して、王宮を去ったらしいぞ」
その瞬間、彼の胸を鋭く抉るような衝撃が走った。心臓が喉の奥へ跳ね上がるように激しく暴れ出し、鼓動は耳を叩き割るかのように響き渡る。
全身の血液が一気に引いていく感覚に襲われ、冷たい汗が背筋をつたった。手足が震え、視界が一瞬歪んだ。
まさか、そんなはずはない――。
彼の脳裏に、かの祭壇でのニーナの姿が蘇った。あの時、彼女はひどく憔悴していた。心を病み、立っていることさえ危うかった。それでも、王族としての誇りを捨ててはいなかったはずだ。
その彼女が、玉座を、自らの意志で……?
彼は、ニーナが本来持っていたはずの祖国への愛や信念が、自身によって失われてしまったのではないかと、いまさら気づき、そして彼女を失うかもしれない恐怖に打ち震えた。彼女は、王族として生きることを望み、民を愛していたはずだ。そんな彼女が、なぜすべてを放棄して姿を消した?
(…私が、彼女を苦しめたからか…)
祭壇での再会時、彼女の問いかけに対し、彼は頑なに否定した。自分の存在がこれ以上、アカネイアに影響をもたらすのを恐れたからだった。だが、それは結果として、彼女の心を深く傷つけたのかもしれない。そして、別れ際につい漏らした「…すまぬ…」という言葉に込めた、ニーナへの深い愛情と真実を明かせない苦しみ。そのすべてが今、深い後悔となって身を苛んでくる。
彼は、いてもたってもいられなくなり、忙しなく出口に向かった。途中、誰も座っていない椅子を蹴とばしてしまい、がたりと物音を立てたが気になどしていられなかった。宿屋の主人が訝しげに彼を見るが、カミュは構わず宿を飛び出し、駆け出していた。宿の厩舎に預けた馬に飛び乗り、手綱を握る手が戦慄いている。彼の心は、激しく波打っていた。彼女を失うかもしれないという恐怖が、彼の胸を突き刺し、一刻も早くたどり着かねばという思いが、彼の背を強く押した。
目的地はアカネイアのパレス城ではなくなり、彼の目的はニーナの居場所を突き止めるそれに変わっていった。過去の罪を償うため、そして、彼女への純粋な愛のために。今度こそ、彼女を救うために。彼は、かつてないほどの強い決意を胸に、出発した。
彼の旅は、もはや贖罪の旅だけではない。それは、愛する女性を探し求める、切なる願いを含んだ旅路へと姿を変えて。