新たな希望の兆しが、復興への勢いを強め、アカネイア全土を活気づかせていた。
理不尽な戦乱の炎は消され、生命の灯を脅かす存在はもういない。そして、闇を追い払った立役者たちのアカネイア王都への帰還は、多くの歓喜とともに首都中を湧きあがらせた。
かつて暗黒竜メディウスを封じた勇者の末裔が、今また二度の激戦を経てメディウスを倒した。その英雄譚は、今後何十年、何百年と語り継がれるだろう。
明るい報せに沸き立つ王宮で、ニーナは静かに、粛々とアカネイア王族としての務めを果たしていた。痩せた体は痛々しく、本来ならまだ寝台で横たわっていてもおかしくないありさまだ。しかし、彼女は起き上がり、黙々と政務に励んでいた。
まだマルスが手を出せないものは、最後に残った王族である彼女が目を通すしかない。無理を押してでもしなければならないことだった。
そんな風に気丈にふるまうニーナの瞳には、しかし深い悲しみと諦めきれない愛が隠されていた。毅然とした態度に隠された、彼女の心の叫びだった。
しばらくして、密かに進められていた事案を、ニーナは重臣会議で発表する。王座とすべての権限を、マルスに移譲する宣言だった。
「わたくしは、わたくしが所有するすべての権限とアカネイアの王座、および統治権をマルス王子に譲り渡します。彼は、このアカネイアを導く真の王に他なりません」
ニーナの声は、穏やかでありながら、揺るぎない決意に満ちていた。王族としての責任と、愛した男との愛を諦めきれない心の乖離が、彼女をひどく、また深く苦しめていた。愛する人との死別、ハーディンとの政略結婚、そして竜の祭壇での出来事は、彼女の心を深く抉った。王妃として生きることは、もう、彼女には耐えられなかった。
王座を去る決断は、彼女にとって「名を捨てて生き直す」ことを意味した。それは、過去のしがらみから解き放たれ、自分自身の心に従って生きることを選ぶ、静かな反抗でもあった。愛を諦めきれないが、自分を置いて去った「カミュ」が追ってこない現実に、彼女は諦念を滲ませていた。
(カミュ…あなたは、わたくしを本当に捨てたのですね)
祭壇での再会。あの時のシリウスの言葉と態度。あれほど明確に、彼は「カミュ」であることを否定し、自分を遠ざけようとした。その事実が、ニーナの心をずたずたに引き裂いた。彼は、彼女をもう愛していないのだろうか。それとも、彼なりの、別の理由があるのだろうか。疑問が心を渦巻くが、答えはどこにもなかった。そしてその答えを尋ねることもできないまま、彼は消えていた。残酷な現実は、彼女の世界を暗く染め上げている。
彼の言葉だけが、彼女の生きる意味のすべてだった。彼が「生きろ」と言ったから。
数日後、彼女は静かに王宮を後にした。かつて、多くの人々に囲まれて過ごしたこの場所を、今、たった一人で去っていく。その背中は、もはや王女のそれではなく、ただひたすらに、自分自身の心の声に従おうとする一人の女の姿だった。彼女は知っていた。この旅路の先に、彼はいない。しかし、それでも、彼女は歩き出さずにはいられなかった。疲れ切った心が、逃げ場を求めて彼女を突き動かしていた。
風が、彼女の髪をそっと撫でる。その風は、どこか遠い場所で、誰かが彼女を想っていることを、告げているかのようだった。しかし、ニーナはまだ、その真実を知る由もなかった。