霜の道を越え

 緑が青々と茂る平原を東と南側に、西側と北側に小高い丘を一望するのどかな村に、シーラは足を踏み入れた。
 この近辺にいるという情報は得ている。目的の人物の鮮やかな髪色を思い浮かべながら、ゆるりと周囲を見渡した彼女は、はるばるやってきたスカイリムのおおよそ中央部に位置する農村の物静かな様子に、そっと吐息を漏らした。
 少なくとも、危険は縁遠いようだ。無論、野生動物はいくらでも顔を見せるだろうが、何人かの衛兵が警らしており、人の姿もまばらではあるが見える。警戒心の強い動物なら、そうそう近づいてはこないだろう。
 柵の中には、ヤギや鶏がのんびり草をはみ、餌をつついている。鍬を振るって、土をやわらかく耕す農夫の姿もいくらか見えた。危機意識もさほど必要ないらしい。武器を帯びている様子もなく、額に汗して働いていた。
 とはいえ、少し外れたところに荒くれ者の集落があるような話も聞いている。そちらに足を向けていなければいいのだけれど、と気を揉みながら、シーラは村の中ほどにある宿屋へと足を向けた。
 宿屋フロストフルーツ、そう書かれた看板を目印に、農村らしいつくりの建物のドアを開く。素朴な室内がシーラを出迎え、絶やされない火が室内をあたたかくしていた。
 奥のカウンターに、年かさのいった男が立っていた。古びた色合いの丈夫そうな天板を乾いた布巾で拭いていた彼は、シーラの姿を認めると明るい調子の声で訊ねてくる。
「いらっしゃい。飲むかい? 食べるかい?」
 まだ昼間だからか、そう問いかけてくる宿屋の主人らしき男へ、水の補給と簡易なスープの類を注文しがてら、シーラは口数少なく質問する。
「ここに、赤い髪のアルトマーは宿泊しているかしら? 知人を探しているの」
 やや深さのある木製の皿に、たっぷりと注いだスープをシーラに渡しながら、彼はうーん、と唸る。
 顧客のことを簡単に口にするのははばかられるのだろう、シーラはちらりとカウンターの奥に視線を向け、スープに加えて食材を購入した。これくらいで舌が滑らかになってくれるなら、安いものだ。
「もうちょっと待ってごらん」
 すると、彼ははっきりとは言わなかったが、そう勧めてくる。と、いう事は、ここで時間を潰していればわかるということだ。
 素直に従うか、僅かながらに迷いはしたが、素朴そうな顔の男には怪しげなところは見当たらない。シーラはふ、と笑みを浮かべて、あたたかく湯気をくゆらせるスープの器をもって、ありがとう、美味しそうねと微笑むにとどめた。
 壁際に据えられた食卓に腰を下ろす。背には焚き火の熱気があたり、あたたかい。
 このあたりは北部とは違って雪も降らず、冷たい風がびゅうびゅうと吹きつけることもなくて、気にもしていなかったが、思ったよりこの身は冷えていたらしい。
 口に含んだ滋養の味わいが広がるスープの熱さにも思い知らされて、シーラはしばしその熱に浮かされたように、食事をとった。



 満たされた腹と、知らず乾いていた喉が潤され、冷えていた身体がほこほこと身体が温まった頃、宿屋のドアが開く音がした。振り返ってもいいが、足音がやや重いから、探していた人物ではないだろう。案の定、やあ、と宿屋の主人に挨拶する人物の声は、しわがれている。
 親し気な様子から、この村に住む人物なのだろうと予想をつけつつ、シーラは満ち足りた身体を休めていた。
 年中風雪吹き荒れると言っても過言ではないウィンターホールドから、休息をとるのもそこそこに大急ぎで旅をしてきたのだ。思いのほか、この身は疲労しているらしい。
 一度座ってしまえば、根が生えてしまったかのように身体が動かない。……失敗したな、と思いつつも、ほんの少し休憩してるだけよ、と言い訳をする。
 幸い、先ほど確かめたこの村は、比較的安全な地帯だ。衛兵はいるし、見晴らしも悪くないから悪漢がいてもよほど油断していない限りは対処ができる。探し人は腕に覚えがあるし……と言い訳を少しばかり並べ立てて、シーラは腰を落ち着けたまましばらく動けなかった。
 そんな彼女の耳に、色々な話が入ってくる。耳が少しばかり遠いのか、しわがれた声はやや大きい。
 村のお偉方なのだろう、村を心配する話や、村にいる若人たちを案じる話、収穫量諸々がぽんぽんと耳に届いてくる。とはいえ、そればかりを聞いているのも悪い気がして、シーラはメモを取り出して、そこに書いてある内容に目を通した。
 古びた紙には、簡潔に探し人はロリクステッドにいる旨が書かれている。その文字をなぞり、細く息を吐いた彼女は、脳裏に浮かぶ色鮮やかな髪色を持つ男性を思い浮かべた。
 年上のアルトマー、少し偏屈だが心根は優しい、魔術師大学に籍を置く彼は、野外の採取と研究、読書を愛する人物だった。
 そんな彼が、野外採取に行くといったきり大学に戻ってこなくなって久しい。そういえば何処に行く、ということまでは聞いていなかったと、彼の手伝いのため、錬金術器具の手入れをしていて時間を取られていたシーラがはた、と気づいたのは、彼が出かけてから数時間も経った頃だった。
 急いで大学の外に出たが、彼の姿は見えずじまい。同僚たちに訊ねても、首を振られる。ふらりと何処かへ行ってしまう、交流の少ない同期のことなど、変人揃いの大学の面々においては些末なことなのだろう。これといった収穫もないまま、悪戯に日が過ぎていく。
 大学の周辺は危険だ。風雪は毎日のように吹き荒れ、体温を奪っていくし、崖の下はホーカーがよく現れる。それを狙って、アイスウルフや時にはトロールが姿を見せ、よく暴れていた。そのおこぼれに預かる住民もいたが、それも稀だ。息を潜めた危険な野獣どもは、そういった人にも襲いかかってくる。
 念のために崖のほうも探索したが、それらしき人影は見かけない。野草はそちらにもまばらに生えていたし、もしかして、と思ったからだ。けれど、もしそんな危険生物に出会ったら、探している人物は得意とする火炎の魔法で消し炭にしているだろう。その痕跡は、きっとどこかにあるはずだ。しかし、近辺にはそれがなかった。
 ならば、この近辺にはいないのだろう。恐らく、足を延ばしている。
 それが西のドーンスター方面なのか、南のウィンドヘルム方面なのか、あるいはもっと足を延ばした先なのか。
 せめて行き先を告げてくれていたらよかったが、急に思い立った研究者のフットワークの軽さは侮れない。まして彼は、その気位の高さと能力の高さも相俟って、躊躇うということをしない。何処までも貪欲に、没頭する。
 やりたいからと、この地方にまで来て大学に入ってしまった彼のことだ、やりたいからと何処までもきっと進んでしまう。
 そんな彼を心配して、この北方の領土までやってきたというのに。
 頭痛を覚えながら、シーラは大学に出入りする数少ない情報源に協力を仰いだ。アルドメリ自治領の関係者ではないが、比較的アルトマーに融通を利かせてくれる人物が、渋い顔をしつつも数日後にかなり正確な情報を入手してくれた。そうして渡されたのが、ロリクステッドにいる、というメモだ。
 ロリクステッド、ここ、ウィンターホールドからずいぶんと離れている。地図はある程度は頭に入っているが、それでも遠いな、と溜息が出る。そこに行くには、山を超え、街道をひたすら歩き、草原地帯を抜ける他ない。馬車の停留所がないため徒歩しか選択肢がないのだ。あるいは、ウィンドヘルムに向かって、馬車でホワイトランまで赴くか。ホワイトランからロリクステッドまでは、これまた距離があった。一応、ホールド内ではあるのだが、かなりの行程だ。
 ともあれ、そこからまた移動されてはかなわないと、シーラは大急ぎで荷作りをして旅立った。危険な道のりだった。
 ひどく吹き荒れる雪嵐の中、ホワイトアウトしてしまいそうな視界に不安を感じながら、街道を進む。荒れた街道は危険で、フロストトロールやアイスウルフがたびたび出た。幸いなことに、鉱山の警備兵が手助けしてくれたり、数が少なかったりで、何とか凌ぐことができた。それは記憶に新しい。
 かじかむ手をすり合わせて、棒のようになった足を必死に動かした。宿屋ナイトゲートに到着したときには、凍傷にもなりかけていたほどだ。適切な手当と治癒魔法で事なきを得たが、もっと寒い時期だったらと思うとぞっとする。そう、今は、まだ真冬ではないのだ。
 もう少し休んでいった方がいい、という勧めもあったが、シーラは一刻も早く彼を見つけたい一心で、足早に宿屋を出ていった。
 ナイトゲートの近辺もまた、危険が多かった。フロストスパイダーに、フロストトロール、氷の精霊に山賊と、目白押しだ。痛む手足を必死に動かして、撃退を繰り返した。途中、ペイルの衛兵が駆けつけてくれなかったら、きっと危うかっただろう。
 数は少ないが、それでも街道を警らする衛兵たちに、シーラは感謝した。気位の高いアルトマーに礼を言われるとは思わなかったのか、驚いた顔をみなするが、嫌な気はしないのか、気をつけてな、と送り出してさえくれた。
 しばらくは安全を確保できた街道をひたすら進む。
 雪景色はやがて薄くなり、緑が濃くなってきた頃、ようやくほっと息をつけた。気温もあがり、寒さに震えることがなくなっていく。それでもまだ肌寒さはあったが、凍えるほどではない。さらに進めば、衛兵の姿がまばらに見えてきた。これまで通ってきた街道にいた数よりもはるかに多い人数だ。
 警戒を怠らない真面目な勤務態度に好感を抱きつつ、シーラはそびえたつ城壁の街にようやくたどり着き、そこでも情報を募って、薬品類の補充をした後、宿泊もせずに草原地帯に足を向けた。
 街の東側の警戒の強さとは違って、西側の草原地帯の警戒は緩い。監視塔はあっても、砦の方までは手が回らないらしい。
 古びた砦の中の不穏な輩どもの姿を捉えて、シーラは結局大きく迂回することを選んだ。街道を少し南にずれて、伸び放題の草地を進んだ。
 数の利に勝る山賊どもを相手にするより、多くても2、3匹程度の狼を相手にする方がましだ。無論、こちらも囲まれればまずいが、極寒地帯だったウィンターホールドとは違って、このあたりはあたたかく、身体が動かしやすい。視界を遮る霧もなく、音をかきけす地吹雪の轟音もない。
 そう踏んで進んだ道のりは、思いのほか平穏だった。
 先に街道を進んでいたカジートキャラバンの腕利きの傭兵が、露払いしてくれたのだろう。岩陰から飛び出したヘラジカに出くわした程度のハプニングはあったが、シーラは比較的安全にロリクステッドまで歩を進めることが出来たのだ。
 それでも、疲労は蓄積していたし、警戒を絶やさなかった気疲れは大きい。ゆえに、しばらくシーラは立ち上がれず、静かに宿屋に入ってきた気配にも気づくのが遅れた。



 細い肩に手を置いた。手のひらですっぽりと包み込めるくらい、薄い。手のひらに、びくりと震える華奢な身体の戦慄きが感じ取れた。かと思うと、彼女は勢いよく振り返った。輝く黄金色の髪が大きく広がったかと思うと、ふわりとしなやかに背に落ちる。
 見開いた瞳が、こちらを認めた途端、潤むのが見えた。
 わななく小さな唇が、よかった、と形作るのがわかる。
 よほど心配させたのだろう、といまさらながら気づいた。しかし黙っていると、今度は潤んだ瞳が睨めつけてくる。
「エストリオンさま」
 意図的に低くした声に、思わず笑ってしまった。怒ってるんですよ、と訴えかけるような音色は、それでも可愛らしい。
 年下のこのアルトマーの娘は、エストリオンの知人でもあり、護衛を自称していた。何が気に入ったのか、エストリオンの研究を手伝い、こまごまと世話を焼いてくる。基本的に邪魔されるのは好かない性質のエストリオンだったが、彼女はよく気が利く娘だった。彼の思考を読み、必要なものを揃え、煩わしいものを跳ねのけてくれるのだ。
 その能力は高い。錬金術に精通しているとまでは言わないが、知識はエストリオンの補助を可能にする程度には所有していたし、器具の手入れの手つきも丁寧だ。野外採集の際には、周囲の警戒をしてくれて、夢中になっている間に邪魔者を撃退していたことさえある。かなり頼れる人物ではあった。
 ここ、ロリクステッドまで追いかけてくるとは思ってもみなかったが。
 ――あの日、ふらりと野外採集に出かけたのは、ウィンターホールドでも比較的天気の良い日だった。
 数少ない晴れ間が見え、多少遠出しても大丈夫だと思わせる陽気さえ感じた。事実、外には似たようなことを思ったらしい学生や講師が足早に学外へ出ていくのが見えたし、村の住人も今のうちにといそいそと食糧調達に向かっていた。自分もそのつもりだったのだ。
 あちこちに自生している野草を摘み、研究の材料にしようと計画していた。
 あれと、これとを組み合わせて……と思ううちに、このウィンターホールド近辺で採取できるものでは物足りなくなり、足をのばして……とするうちに、とっぷりと日が暮れてしまった。空にはいつの間にか厚い雲がたれこめ、そのうちちらちらと雪が降り始めてきたのだ。
 夢中になっていたせいもあり、ウィンターホールドからはずいぶん離れ、どちらかというとウィンドヘルムに近い場所にいた。
 そこで、研究の虫が疼いた。
 ウィンドヘルムには馬車の停留所がある。そこまで、遠くはない。むしろ、ウィンターホールドへ戻る方が時間がかかる。それよりは、ウィンドヘルムに向かって馬車に乗り、求める植生があるだろう地方へ行って、集めて、それから戻ればいい。
 そう思い至ってしまった。
 それからの行動は早かった。向かってくるアイスウルフや氷の精霊など、燃え盛る炎の魔法にはひとたまりもない。馬車に乗ったのは夜半を過ぎていたが、少し多めの金を握らせればすぐに馬を走らせてくれた。
 大学で待っているシーラに、手紙を書くのを忘れたが、研究で頭がいっぱいになっていたので、しまったとさえ思わなかった。
 もちろん、数日で戻るつもりだったのだ。だが、訪れた地は思いのほか研究欲をそそってくれた。
 錬金に使える野草は多く自生し、近隣の遺跡には心を惹かれる。朴訥な農民は物珍しそうな眼差しを向けはするが、必要上に距離をつめてこないのも気に入った。
 宿屋の宿泊料金も高くなく、料理もそれなりに美味い。また、ウィンターホールドほど厳しい気候ではなく、のどかそのもので、多少の危険は伴う事案はあるものの、衛兵がうまく対処してくれることもあり、手を煩わされることはほとんどなかった。
 丘の向こうに、不穏な気配は感じたが、まだ村への悪意は感じない。放っておいてもいいだろうと踏んで、研究に夢中になりすぎた。
 シーラを見つけたときの心境は、言葉にはできない。プライドが許さないのもあったが、睨んでくるうるうるとした瞳を見ていると、そんなプライドもどうでもよくなる。
 滑らかな目元から盛り上がっていた雫に思わず手を伸ばして、それを払った。
「すまなかった」
 短く告げれば、シーラは唇を僅かに開閉したものの、小さく吐息をついて仕方ないですね、と最後には笑う。
 許してくれた気配を感じ、隣に腰を下ろすと、彼女は背筋を伸ばして座り直した。
 整った横顔に疲れが見える。彼女は何も言わないが、恐らく強行軍だったのだろう、くたびれた装いがすべてを物語っていた。
 そのさまを見るにつけ、今さらながらに研究欲を優先したおのれを叱咤したくなる。連絡のひとつでも入れていれば、危険な旅路を歩かせる必要もなかったのに。
 しかしすべては後の祭りだ。
 シーラは、もっと怒っても良かった。心配したのだと、黙って遠方に出かけるなと、エストリオンに怒鳴っても良かった。それなのに、彼女はエストリオンの無事な姿と短い謝罪だけで、すべてを許してくる。
 そんな彼女に初めて、エストリオンは不思議な感情を抱いた。しかしそれが何の感情なのか、考えるまでもなくエストリオンは目を逸らす。
 そして、彼は提案するのだ。もうしばらく、ここで研究を続行する心算だから、君もここでしばらく腰を落ち着けないか、と。