あちこちを旅してきた。
東西南北、あらゆる土地を巡って、さまざまなものを目にしてきた。肥沃な土地、山岳地帯、雪深い土地、森林地帯、荒地、沼地、物静かで排他的な地方集落、木々に囲まれて鬱蒼とした村、漁だけが頼りの漁村、枯れかけた鉱脈だけが頼りの鉱山地区、遺跡による観光客にわく古都市に、商業が発展した都会、交通の要衝で警備が厳しい地方都市。
人柄もさまざまだった。よそ者を穿った目で見てくる土地、金を持ってるとあらばころりと態度を変えてくる人物、朗らかに出迎え、送るときも目を潤ませてくるあたたかみのある村、他者には無関心な市街、生真面目に応対してくれる商家…
石を投げつけられたことも、手を差し伸べられたことも、救いの手を求められたり、求めたり…助け、助けられ、迫害され、無関心でいられたときもあった。
それでも、この土地を離れがたかったのは、無骨でありながらも心の奥に秘めた情熱と優しさを備えた人々が、少なからずいてくれるからかもしれない。
そして、根無し草でひとところにとどまらず、ふらふらとあちこちを巡り歩く、まあ言ってはなんだが怪しげな風貌の自分を、快く受け入れて頼ってくれたのが嬉しかったのもあった。
胡乱だった眼差しはやがてやわらかく和んだ。頼りにしてるぜ、と背中をばんばん叩かれるようになったこともある。
首長は頼りないが、問題を解決してみせたら目の色が変わった。威厳ぶる態度は様にはなっていないが、何処の馬の骨ともしれない自分に土地を買う許可を与えてくれた。
ひとところに留まろうとは思っていなかった。足かせだと思っていたからだ。自由でいたかった。
けれど、身分を得る機会を与えられ、人の役に立ち、寒冷な地方の割には温暖で木々も萌えるこの近辺は、居心地がいい。与えられた土地が、人々の住む集落から離れているのも気に入った。
小高い丘にあるそこは、大きな山と巨大な湖に挟まれている。森の恵みと湖の恵みに恩恵を受けられる、良い土地だった。…まあ、近隣にある怪しげな祭壇や狼のねぐらに目を瞑れば、の話だ。
一通り近郊を歩き回って、購入した土地の周辺を確かめる。人影のいない近場の家屋は気になるが、許容範囲だろう。こちらに迷惑をかけられなければそれでいい。
ふう、とひとつ溜息をついて、腕まくりをする。
土地を買ったといっても、本当にそれだけだ。家屋は何もない。
自分で建ててくれ、と言われたときは耳を疑った。けれど、自分の好ましいように建ててもいいとあらば、胸が躍ってくる。
何を建てようか、どんな風にしようか。
ぱらぱらと建築ガイドと題された書物をめくりながら思案する。小さな家、メインホール、厩舎に……と脳裏に間取りを思い描く。
こんなにもわくわくするものだったのかと、興奮がおさえられない。
何処にでもふらふらと行けるよう、極力持たないようにしてきた。身軽がいいと、常々思っていたのだ。その日暮らしは良い。宵越しの金は持たず、一晩の宿代と食事代、ささやかに飲酒を窘め、気が向いたときに娯楽を得る、それがいいと思っていた。
色々なところで、糧を得た。獲物を狩り、むき出しの鉱脈を掘り、野草を摘んで、加工して売った。それを元手に、飲み食いして、寝床とぬくもりを求めて、起きれば出ていく。縋られたことももちろんあったが、ふわふわと足が浮くのだ。
関心は外に向き、息が白く濁る空気にさらされたくて仕方なかった。疲れてへとへとになってもなお、きらめく夜空の下を歩きたかった。
変わったもんだ、と口元が緩む。
今、おのれの足はどっしりと根付こうとしている。何処かに飛んで行ったりなどしそうもない。
ぱたん、と本を閉じて、作業台に置いた。傍らの製図台や金床が出番を待っている。切りたての木材のにおいが鼻先をくすぐり、建てたあとの家屋に満ちるだろう香りをほうふつとさせた。
材料は、それはもう頑張ってそろえた。とはいえ、恐らく後々足りなくなってはくるだろうが。それでも、わくわくする感情はきっとおさまらないだろう。
少しずつ、少しずつ作業する。
石を積み上げ、床をならし、柱を立てて壁で囲う。扉を調整して、屋根の高さの具合を確かめ、初めて作り上げた小さな家は、今まで入ったどんな家屋よりも、あたたかく心地良かった。
建屋だけが仕上がった屋内に足を踏み入れる。真新しい木のにおいが立ち込め、静まり返って、がらんとしている。内装はおいおいやっていくとして、ぐるりと室内を見渡した。
人がひとり暮らすなら、これだけでも今は十分だ。手狭ではあるが、幸い荷物は少ない。庭が作れそうだから、野菜の類はそこに植えて育て、湖で魚を採り、森で鹿などを狩る生活も出来そうだ。あるいは売値の良い野草を育てて調合し、人里に売りに出すのもいい。
これまでとあまり変わらないな、と笑いながらも、ここが帰る場所になるのだと思うと、感慨深かった。
ごろりと床に寝転がる。冷たい石の感触が背中に伝わる。見上げた天井には、大きな梁が見える。力強く、建っている。
何もかも初めてで、手探りの建築だったが、おもいのほか達成感が味わえた。ちまちまと釘やヒンジを作っていたときは、あまりの細やかな作業に気が狂いそうでもあったが、そういった作業の果てに出来上がったと思うと、やはり苦労よりも満足した吐息が漏れる。
のびのびと、手足が伸ばせた。
青々とした空のしたで、生きていくのももちろん好きだ。きっと、ここがあってもときおりそれを求めて旅に出たりもするだろう。でも、きっと自分はここに帰って来る。帰ってこられる。そしていつか、ここで骨をうずめるだろう。
そんな予感がした。
レイク・ビュー邸