もしもの

■ハーディンとニーナ:悲劇を回避する「もしも」の道

 ニーナ王女の伴侶となったハーディンは、当初こそ希望の象徴でしたが、最終的には闇に堕ち、ニーナを深く苦しめる存在となりました。しかし、もし彼が異なる選択をしていれば、この悲劇は避けられたかもしれません。ぼんやりとではありますが、ハーディンが「こうすればよかった」のではないか? という考えを纏めてみようと思います。

■愛と権力の焦燥、そして孤立

 ハーディンは、ニーナ王女を心から愛していました。マルスか、自分かの選択の末、自分が選ばれて歓喜するほどには。しかし、彼女の心が自分にはないことを即座に看破してしまい、酒に溺れてしまいます。愛は焦燥へと変貌し、やがて嫉妬へと形を変えました。それでも彼はニーナを愛していたので、その感情を直接彼女にぶつけることはせず、代わりにアカネイア皇帝としての重圧、戦乱で疲弊し混迷を極める各地の復興、いわば属国扱いであるオレルアン出身の自分を侮る貴族たちの不満、領土問題など山積する問題の解決に乗り出します。強いリーダーシップを発揮し、功績をおさめ、人心の掌握に乗り出したのです。
 しかし、彼は最も信頼できるはずの狼騎士団の部下たちにさえ、自身の弱みと苦悩を相談しませんでした。失恋という痛み、政治的な徒労感、そして重圧が彼の心を弱らせ、孤立を深め、酒に溺れて思考がクリアにならない状況下で、彼は孤立していったのです。

 その裏には、彼が「がっつきすぎた」一面があるとも思います。ニーナに選ばれた、嬉しい、さあすぐさまその心も…!と急がなければ、そして彼女と面と向かって対話を試みる勇気があったなら、もう少し形は違った結末を迎えたではないかと思います。


■ニーナの沈黙と、時代の壁

 この問題の根幹には、ニーナ側にも大きな瑕疵があります。
 彼女がハーディンに、「カミュが好きだったこと、今も想っていて忘れられないこと」を伝えられなかったのは、単なる個人的な問題ではありません。
 このゲームが作られた1990年代の日本文化では、自分の恋愛経験、特に過去の恋愛をオープンに語ることは、「恥ずかしい」こととされ、女性には貞淑さと処女性を求められる風潮が強くありました。恋愛経験を言いふらす事は、「はしたない」という感覚が強かったのです。

 ニーナというキャラクターが生み出された当時の、そのような文化的な背景がゲームにも反映されている事を考えると、「愛した男性がいた」事を自ら語ることは避けたかったでしょう。抵抗を感じ、沈黙してしまったとしても不思議ではないのです。その沈黙は、彼女の心の傷を守るための、彼女なりの必死の自己防衛だったのです。


 ハーディンは、このニーナの沈黙を「自分への拒絶」と受け取ってしまった。ニーナの沈黙には「自分の傷を隠す」壁であり、決してそれを乗り越えない意思表示ではなかったはずです。彼女は事実、「もう少し待ってほしい」と願い出ていました。心の整理さえつけば、彼女にはハーディンに目を向けるための意思は確かに存在していたのです。
 しかしハーディンにはそれを待つだけの心の余裕がなかった。互いの感情のすれ違いが、二人の関係を決定的に悪化させてしまったのです。

■「もしも」のハーディン:忍耐と対話の重要性

ハーディンが悲劇を回避するために「こうすればよかった」という道は、彼の焦燥と孤立、独断を克服し、ニーナとの関係、そして国政において忍耐と対話、協力を選択することでした。

・ニーナの心を「待つ」忍耐力
ニーナはカミュを失ったばかりで、深く傷ついていました。ハーディンは、彼女を妻として得た時点で、一旦は満足し、ニーナの心が癒えるのを待つべきでした。カミュがニーナのために命を賭け、彼女を守り抜いた「究極の愛」は、強引さとは無縁でした。ハーディンがそのカミュの姿勢を見習い、ニーナの心に寄り添い、時間をかけて信頼関係を築こうと努力していれば、彼女が心を開くまで時間はかからなかったかもしれません。

・部下への信頼と相談
ハーディンには、忠実な狼騎士団という信頼できる部下がいました。彼らがハーディンを心から慕っていたことは明らかです。もし彼が、自身の心の弱さや政治的な苦悩を打ち明けていれば、部下たちは彼を精神的に支え、より良い解決策を共に探すことができたでしょう。孤立が深まることで、彼は闇のオーブに付け入る隙を与えてしまいました。

・ニーナとの「共同作業」
ニーナは、民を思い、国を立て直す気概のある女性でした。ハーディンが彼女を「象徴」として放置するのではなく、アカネイアの復興という共通の目標に向かって、対等なパートナーとして彼女の意見に耳を傾け、共に歩もうとしていれば、彼女の優れた資質が活かされ、ハーディン自身の精神的な負担も軽減されたはずです。ニーナとの対話を通じて、独断に走ることなく、よりよい国政が成り立ったかもしれません。

 ハーディンの悲劇は、彼自身の正義感や強い意志が、焦燥と孤立、そしてニーナとの間の「沈黙」によって歪められ隙ができ、最終的には闇のオーブに利用された成れの果てとも言えます。もし彼が、ニーナへの愛においても、国政においても、もう少しの忍耐を、自分を慕う相手への弱みを見せる勇気を持っていたならば、彼の物語も、そしてニーナの運命も、全く異なる結末を迎えていたことでしょう。

個人の感想です。当時の日本の風潮とかまあ色々とごっちゃに考えて出した結論をぼやいているだけです。