夜更けの狼藉

 深夜、城内に仕える多くの人々が寝静まった時刻、パレスの敷地内に不審な影が侵入したとの報せが駆け巡った。澄み渡る夜の空に、けたたましい警笛の合図と将兵たちの怒号が響き、静寂は一瞬にして破られた。夜警の将兵たちのみならず、緊急事態かと飛び起きた者たちが助力のため慌ただしく出動する中、カミュもまた自室から姿を現す。その冷静な表情とは裏腹に、眼光は鋭く光っていた。
 不審な影は現在、庭園付近を縦横無尽に駆け巡っているらしい。ざわめきは静かだった石壁に反響し、不気味に響く。一刻も早く事態を収拾せねばと、カミュは急いで庭園へと向かった。そこにはすでに多くの将兵が集まっていたが、これだけの人数で捜索しているにもかかわらず、不審者は未だ発見されていないという。警備の配置案を講じたのが他ならぬカミュ自身だったからこそ、将兵たちが警戒を怠ったわけではないのはよく理解できた。だがその隙を突かれたのだ。警備の穴を見抜かれたのかと、悔しさで奥歯を噛み締める。
 あちこちで、将兵たちが不審者を見つけようと躍起になっているのを見ながら、カミュも鋭く視線を巡らせた。おかしな動きをする者はいないか。どこか物陰に潜んではいないか。ランタンの灯りで暗闇を照らすが、状況は芳しくない。まさか、城内に入ったか? カミュがそう疑った、まさにその時だった。
「何事ですか、カミュ」
 騒ぎを聞きつけ、城内から現れたのはニーナ姫だった。薄手の夜着姿で、肩から滑り落ちそうなほど緩んだ襟元から覗く白い肌が、月明かりに照らされている。その無防備な姿に、現場に居合わせた一部の若手将校たちは動揺を隠せない。騒然とした雰囲気に気を引かれて、何人もの将兵の視線がニーナの方に集まってしまう。次々と向けられる視線に晒されながらも、ニーナはただカミュだけを見つめていた。男たちの視線は、彼女の姿に釘付けにされ、目が離せないと言わんばかりだった。ある者は慌てて目を逸らすが、結局視線はニーナのほうにちらちらと戻ってしまう……カミュは怒りに目を見開いた。
 騎士たる者がなんたる体たらくだ、と言わんばかりの、怒りとも呆れともつかない表情で、彼は即座に「まわれ右!」と号令をかけた。戸惑いながらも一斉に背を向ける将兵たちを後目に、カミュはすかさず自分の上着を脱ぎ、ニーナの肩に羽織らせる。
「何というお姿を! ニーナ姫、ご自身のお姿が分かっておいでか!」
 困惑と微かな動揺を押し殺して、カミュは早口で問い詰める。しかしニーナは、何がカミュをそこまで苛立たせているのか、本当に気づいていないようだった。
「説明は後だ! みな、不審な影の捜索を続行せよ! 私は姫を部屋までお送りする!」
 有無を言わさぬ厳しい口調で命じると、カミュはそのままニーナを軽々と抱き上げた。いわゆる姫抱きの姿勢で抱えられたニーナは、驚いてカミュを見上げた。しかし彼の表情は険しく、足取りは早い。向かう先はニーナの寝室だ。直行する彼の腕の中で、ニーナは戸惑いを覚え、少しずつ不安げな表情を浮かべた。
「カミュ、どうしてそんなに怒っているの?」
 その問いかけに、カミュの胃はきりきりと痛んだ。まさか、「その格好は、他の男たちには刺激が強すぎる」、「煽情的すぎる」などとは言えるはずもない。
 黙り込んだままニーナの寝室にたどり着くと、扉を閉め、彼女をそっと床におろした。そしてそのまま、抱き寄せる。
「……そんな無防備な姿を、私以外に見せるんじゃない」
 押し殺すように発せられたカミュの声には、はっきりと独占欲がにじんでいた。ニーナはその言葉でようやく、自らの姿に気づいた。無防備な夜着の姿だと、本当に今頃になって気づいたのだ。そして、カミュが怒っていた理由も理解した。顔を赤らめ、小さく「ごめんなさい」と呟くニーナは、強引に着せられたカミュの軍服の意図を認識し、そっと大切そうに合わせる。その行動にようやくカミュの眉間の皺が取れた。
 ふっと息を吐き、優しくニーナの顎を持ち上げた。そっと唇が重なる。仲直りのように、唇を重ねた。



 翌朝、ニーナの無防備な姿を偶然にも目にしてしまった将兵たちには、地獄のような厳しい訓練が待っていたという。カミュが普段以上に容赦なかったのは言うまでもない。
 ちなみに、深夜にパレスに侵入した怪しい影の正体は、野生動物だった。
 そして、その日のニーナは日がな一日ぽーっとしていて、頬がほんのり赤かった。カミュはというと、時折「ごほん」と誤魔化すように咳払いする姿が目撃されたという。
 情熱的な夜だったらしい、とまことしやかにささやかれたのはまた――別の話。