どうしてこうなった。
ビルドは心の奥底で叫んだ。
目の前には赤い瞳を爛々と輝かせ、じりじりと距離を詰めてくるシドーが、舌なめずりをしている。
その姿は見惚れるくらい格好いい、本当に格好いい。……だが、ビルドは今すぐにでも逃げ出したくてたまらなかった。
どん、と後退る背中に、壁がぶつかった。あ、ヤバい。とっさに左右どちらかに跳躍しようかとも考えたが、その一瞬の迷いが運の尽き。どん、とシドーの両手がビルドの身体の両脇に押しつけられる。ぴし、と何かにヒビが入る音が聞こえた。
ひぃ、と思わず悲鳴が零れる。やばいやばいやばい。蒼褪めてそれでも逃げようとずりずり壁に沿って腰を落とそうとする。が、再びどかりと音がして足の間にシドーの片足が突っ込まれた。彼の足が踏みしめた地面が勢いで物凄いことになっている。
ごくり。
干上がった喉が、それでも鳴った。
そんなビルドを見下ろして、いわゆる壁ドンの体勢のままシドーが口を開く。
「……ビルド? オレは言ったよな。今度遠出するときは、ちゃんとオレに声をかけろって」
はい。確かに言われました。
からっぽ島の住民は増えて、護衛や戦闘を得意とするメンバーが潤ってきた。そのため、出ずっぱりのシドーを島に残して、そんな面々を彼の代わりに連れ歩くことが多くなったのも確かだった。
最初こそゆっくりできるな、と笑ってくれたシドーだったが、ここ最近はどうも面白くなさそうにしている。それとなくルルに言われて、近いうちにシドーとも出かけたいな、とも思っていた。けど、うっかり構成メンバーを変えるのを忘れてしまっていたのだ。本当に、うっかりだった。
昨夜、寝入りばなにシドーに言われた言葉を反芻しながら、ビルドは言い訳もできずに冷や汗を流す。
あ、しまった。程度だったその認識は、からっぽ島に戻ってからそれどころの話ではないと改めさせられた。
青筋を立てて腕組みをし、船からおりてきたビルドと護衛のメンバーを待っていたシドー。背後に、何か見えちゃいけないものが見えていたような。主にこう…でっかい腕が……
明確にやばさを感じて、ごめん! とおざなりに謝り、とっさに緑の開拓地にワープして逃げたのもいけなかった。
夜ちゃんと謝らなきゃ、と安易に考えていたビルドは、しばらくして後ろからひしひしと感じるプレッシャーに、思ったよりもまずいのでは? とようやく気づいた次第である。
振り返れば、さっきの数倍増しでヤバイものが見えた。遠くでうひい、と叫ぶポンぺの声が聞こえる。
あわわと泡を食って急いで立ち上がり、とにかく誰も周囲にいない場所を求めて猛然とダッシュした。スタミナめいっぱい使って、まだ開拓途中の森の奥へと逃げ込む。身を隠す目的もあったが、周辺に建物や畑がないなら人もいない、という打算ももちろんある。
そうして思いっきり緑の開拓地を駆け抜けたビルドだったが、いつだって何処にいたって、シドーは簡単にビルドの居場所を突き止めて追いついてくる。捕まるのも時間の問題だった。
若木をすり抜け、もさもさと生えてきた草地を蹴り、森の奥へ、奥へ。しっちゃかめっちゃかに走っているのに、背後に迫る気配はつかず離れずで、流石シドーだと感心する。いや、今は感心しちゃいけないところだ。
やがて満タンだったスタミナが切れてきた。ぜいぜいと呼吸が荒くなり、走る速度ががくんと落ちる。それでもわざとなのか、距離は一定を保ったまま。
実のところ、シドーの脚力はすごい。どんなに遠くにいても、ビルドが拠点を外れたり、危険な目にあっているのを察知すると、ものすごいスピードで走ってくる。本来なら、疾うに捕まっていてもおかしくない。
今さらそんなことに気づいたが、それ以上考える余裕もなく、ビルドはとうとう森の最奥に建築途中の家まで来てしまった。ここから先は身を隠すものはないと言っていい。
ど、ど、どうすれば。
おろおろとしている間に、背中にシドーの気配を感じたのがついさっき。不穏なオーラを纏っているよね、そうだよね。な状態を目にして、後退ったが後の祭りだ。
「……ご、ご、………ごめん」
だらだらと背筋に冷や汗を伝わせ、どもりながら遅い謝罪を口にする。至近距離のシドーは片眉を器用に跳ね上げて、は、と笑った。
「それだけか?」
イエ、チガイマス……
約束を破った事だけじゃなく、逃げたことも。約束を違えたのを理解したとき、すぐさま取って返さなかったことも。それから、不毛な鬼ごっこをさせたことにも。
おずおずとシドーを見上げた。ぎらつく赤い瞳を見ながら、今度こそ心の底から謝罪する。すると、おどろおどろしいオーラがすうっと消えた。見えちゃいけないものもぽんっと消えて、まるで夢だったかのように跡形もない。
プレッシャーもすっかり消えて、みしみしと音を立てていた背後の壁からヤバイ音は聞こえなくなった。
その代わりに、ぐい、と腕を引かれてシドーの腕の中に包み込まれる。
ぎゅう、と抱き込まれるとさっきまで感じていたヤバさとか恐さ、あばばばしたくなる感覚がきれいさっぱりなくなって、きゅんとした感情にとって代わられる。ほっとして抱き返すと、頭上でシドーの溜息が聞こえた。
「ビルド」
低い声で呼ばれて、ドキッとする。ああもう、この声で呼ばれるのにはちゃめちゃに弱い。きゅんきゅんする。
……のだが、不意にみしり、と。音がした気がした。
「ちょ、待っ、シドー!! 痛いいたい!!」
いつにない力で、ホールドする腕に締めあげられる。こんなの、最初の頃の力加減がわからなかったシドーの抱擁以来だ。折れる、折れ………
「ハッハッハ、オレから逃げた罰だ!」
高笑いとともに、容赦のない……いや、たぶんシドー的にはかなり加減してるだろうホールドが続いた。細い体が締め付けられ、そして浮きあがる。
「ごめんってば、シドー!!」
背骨、背骨が、本当にやばいから!!
ばしばしとシドーの背中をたたいた。そうしてようやく、おいたをした罰のホールドが緩んで、ぷは、と知らずに詰まっていた息を吐き出す。ぜいぜい、と荒く呼吸をして、からからと笑うシドーを見上げた。
「今度から約束を守れよ、ビルド」
そして今度こそ、やわらかく抱きしめられて、痛かった背筋をなぞられてしまえば、もう痛みなどどこかに吹き飛んでしまった。
と同時に、こんな風に笑い飛ばして終わらせることで、これ以上気に病まないようにしてくれているのだと何とはなしに理解する。
結局のところ、なんだかんだ言って甘いシドーの台詞に、ビルドは大きくうなずいて、後で絶対構成メンバーを変更しておこうと誓いを立てた。
こうしてようやく仲直りした二人は、ヒビが入って使い物にならなくなった壁やへこんでしまった地面を元通りに直し、ついでに残りも建ててしまおうと、作りかけの家を急ピッチで建造すると、その家でイチャイチャしたとかしてないとか。
犬も食わぬ何とやらである。