喉仏




 小さな唇が赤い果実を食んだ。
 瑞々しい香りと果汁が唇を濡らし、含まれた果肉が幾度が咀嚼されて嚥下されていく。
 あまり目立たない喉仏がごくりと揺れた。
 特に色気があるわけじゃない。日常よく見られる光景であって、珍しいものですらない。
 それなのに目が離せないのは、何故なのか。
 再び小さな唇が開いた。摘まんだ果実を押し込めて、優しくそれを食む。収穫されたばかりのイチゴは、器に盛られてシドーの前にも置かれている。何でも、珍しいイチゴを収穫したくてたくさん植えたらしいが、なかなかそれが育たない結果らしい。
 どっさりと収穫されたそれはつやつやと輝いて、見るからに美味そうだ。一部の大粒のものはケーキとして加工され、振る舞われるらしい。
 それはそれとして、シドーは相変わらず目が離せなかった。
 シドー同様、器に盛りつけられた生のイチゴを頬張るビルドは、その甘酸っぱい果実を堪能して嬉しそうだ。そざい島を駆け回り、集めた種から収穫された喜びも相俟って、ビルドは島でできたものをいつも嬉しそうに食べる。その光景はいつもと変わらないというのに。
 小さな唇が、果実を食む。齧られた果肉からじゅわりと果汁があふれて、表皮を濡らしていく。赤い舌がそれを舐めとった。
 ………くらくらする。
 シドーは片手で目元を覆った。
 喉仏が動く音がする。ほんの微かな、ともすれば聞こえないほどのそれなのに、シドーの耳はその音をくっきりと拾う。
 たまらなかった。



 たっぷりのイチゴを堪能したビルドは、一向に減らないシドーの器を見て首を傾げた。
 こちらの気も知らないで、とも思うが、そもそもあの程度で何を想像したのかとか、何を見ていたのかなんてビルドが知る由もない。
 シドーは何でもない、とぼそりと答え、盛られた果実を一気に食べた。甘酸っぱい香りと味が口内に広がり、悪くない味わいに満足する。
 あっという間に空になった器を片付けて、今日は何をしようかと張りきるビルドを追った。
 しばらく並んで歩くが、不意に鼻先をあのイチゴの香りが掠める。
 なんだ? と視線を巡らせた。このあたりにイチゴを栽培している場所なんてない。果汁が服にでも付着したのかと、己の身体を確かめても特に変わったところはない。では、とちらりとビルドの方を見るが、彼の方も特に変わった様子はなかった。
 それでも何とはなしに、あの香りはビルドから漂っている気がする。
 どうしても気になって、顔を寄せる。そんなシドーにどうしたの? とビルドが首を傾げたが、シドーの瞳はさっきまで濡れていた唇に釘付けになっていた。
 赤い果実を食んだ、唇。漂う香りは、何処から?
 迷わず唇を寄せた。もう濡れてはいないビルドのそれに、舌を這わせる。ふに、とやわらかい感触とともに、ほんの微かに、あの果実の残り香を感じた。
「これか」
 ぼそりと一人で得心する。が、突然のシドーの行動に面食らったビルドに至っては、ぱくぱくと口を開閉するしかできない。
 そんなビルドの様子に、シドーは少しだけしまったと思った。が、やってしまったものは仕方ない。
 さっきからずっとたまらなかったのだ。
 普段通りにただ食べているだけだったが、どうしてもこの唇が気になった。
 普段は目立たないくせに、やけに色っぽく動く喉仏からも、目が離せなかったのだ。
 抵抗されないのをいいことに、もう一度名残りを残す唇を舐めた。それから甘く重ねて、ビルドのこわばりを解く。
 警戒が解けたところで、ゆるゆると唇を移動させた。
 ビルドの喉はまだ滑らかに近い。喉仏はまだくっきりとしておらず、何かを飲み込むときにだけ目立った。
 イチゴを食べていたときに動いたあれはそう、ビルドが息を呑むときのあれとよく似ている。
 そんなことを考えながら、シドーは口を開けた。無防備にさらされた喉の、ほんの少しだけ浮いたところに甘く咬みつく。びくりとビルドが震えたが、抱きすくめれば抵抗はない。
 優しく、何度か歯を当てた。最後にそこを吸って、口を離す。
 顔を上げたとき、もうビルドの身体に力は入っていなかった。どうやら、今の刺激だけで蕩けてしまったらしい。
 今日は作業できそうもないな、とちょっとだけ申し訳なくなる。けれど、くったりと寄りかかってきたビルドからお咎めの声はない。それを幸いに、シドーは可愛い恋人を連れて家に戻る。
 程なくして、家の中から甘い声が漏れ出したが、それを耳にしているのはシドーだけだった。



 その後、どうしてシドーがあんなことをしでかしたのか、理由を知ったビルドが二度とシドーの前でイチゴは食べない! と宣言したとかしないとか。
 そんな事件があったらしい。