堅い床に跳ね飛ばされ、ビルドは苦痛に呻いた。
 確固たる決意を以て立ち向かったその勇気も覚悟も、ひとかけらすら及ばない。
 強大な力を持つ破壊神には傷ひとつ負わせることはかなわず、己の持てる限りの力で打ち込んだ攻撃でも、鱗ひとつ剥がせない。
 まるで児戯だと嘲笑われ、赤子の手をひねるように、遊ばれる。
 破壊神の爪のひとかすりが皮膚を裂き、ふるわれた腕の風圧が身体をよろめかせ、前進を阻む。それでもあきらめるものかと何度も立ち上がったが、圧倒的な力の差を埋められるものはない。
 ハーゴンも言っていた。村人同然の力しかないビルダーでは、到底破壊神にはかなわない。
 微かな希望を抱いて、あらん限りの力を振り絞る。破壊神の中に息づいているはずの、大切な友達を助けるために。
 けれど、最後に振るわれた破壊神の一撃は痛烈だった。跳ね飛ばされて全身を打ち据えられたせいか、目の前が霞み、起き上がることが出来ない。立たなければと思っても、痛みに萎えた身体が心が全身を委縮させる。
 悔しさと苦しさに、大きな瞳から涙があふれた。
 そのさまを冷ややかな目で見下ろす破壊神が、その顔を凶悪に歪めていく。
 倒れ伏したビルドに、大きな腕が近づいた。巨大な爪が、みるみる近づいてくる。それはビルドの喉元に伸ばされ、一突きされれば命はないだろうと思われた。
 恐怖にがちがちと歯が鳴った。大切な友達を救えないまま、ころされてしまうのか。そして、二度と会えないのか。絶望に顔が染まる。その表情を、破壊神とハーゴンが嘲笑う。
「さあ、シドーさま! ひと思いにビルダーに引導をくれてやりましょう」
 無慈悲な声が、破壊神の背中を押してくる。
 容赦のない爪が、皮膚に触れた。
 とっさに固く瞼を閉じて、訪れるだろう苦痛に対して身構える。
 ――しかし、ビルドの身に訪れたのは、爪による苦痛ではなく、何かが引き裂かれる音だった。
「シドーさま……!?」
 驚愕を露わにしたハーゴンの声が聞こえた。そして、突然重いものがのしかかってくる。腕や足を踏みつぶしかねないその重量に、閉ざしていた瞼が開いて唇から悲鳴が零れた。
 苦痛の声が、広い空間に哀れに響き渡る。何が起きたのかわからず、ビルドはぼろぼろと涙を零しながら嗚咽を漏らした。霞む視界に、大きな体躯が見える。それは鱗に覆われて、ひどく固い。目の前に何が見えているのか一瞬わからなかったビルドだったが、それが破壊神の身体だと悟ると、恐怖に打ち震えた。
 甲高く耳障りなハーゴンの嘲笑が聞こえたのはその直後だ。
「ビルダーを嬲るのですね! さすがはシドーさま。どうぞごゆっくりお楽しみください。そしてそのお戯れをひとしきり楽しまれた後は、なにとぞ私の望みを……」
 そう告げたハーゴンの気配が遠ざかる。わかっているといわんばかりに破壊神が蠢いた。そして、ぎょろりとその瞳が再びビルドに向けられる。
 恐ろしさにかみ合わない歯ががちがちと鳴った。哀れに怯えるビルダーを前に、舌なめずりをしながら破壊神が笑う。
「さっき言ったな、ビルド。オレを復活させた褒美として、オレが貴様を喰らってやると」
 無慈悲な宣言が、鼓膜を打つ。破壊神の複数の手は容赦なくビルドの手足を封じ込み、身じろぐことさえできない。
 今度こそ終わってしまうのか。シドーを、大切な友達を救えないまま。悲しくて、悔しくて、やりきれない。滂沱の涙が頬を濡らしていく。身体の痛みよりも恐怖よりも、シドーにもう会えないことの方が痛かった。辛くて辛くて、胸が痛い。
 そんなビルドを見下ろした破壊神の顔が、残虐な笑みに彩られる。その笑みが齎す次なる絶望は、もうすぐそこに迫っていた。







 突如視界が開け、シドーは驚愕に目を瞠った。
 それまでいたはずの赤黒い空間と水面、倒れ伏した仲間たちの姿はそこにはなく、目の前には堅い城の床と、そして――傷だらけのビルドの姿があった。
「な……!?」
 思いがけない光景に言葉を失う。先程自らの手で屠り倒したビルドが、己の身体の真下にいるのが信じられなかった。しかし、その瞳は光を失い、虚空をぼんやりとみている。シドーの姿を映しているはずなのに、彼の目には何も映っていなかった。
 戸惑い、息を呑んだ。いったい何が起きている?
 大切な仲間たちをこの手で容赦なく嬲り、モンスターの皮を被せられたビルドをもこの手であやめたはずだ。その現実を直視できず、身体の奥底、内側を食い破り出てきた何かに、すべてを呑まれたはずだった。
 落ちていく昏い闇の淵で、救いを求めたことだけは記憶に残っている。だが、目が醒めた次の瞬間、こんな――こんな光景を目にするなどとは夢にも思っていなかった。
 未だ何が起きたのかわからず戸惑いながら、シドーはとにかくビルドを揺さぶり起こそうとその手を動かした。しかし、触れようとした手の異様さにぎょっとする。五本の指がきれいに並んでいた手は、かたい鱗に覆われてみっつの指が鋭い爪を添えて伸びていた。己の記憶にあるのとはまったく違うその手指に、心の臓が止まりそうになる。
「なんだ……!?」
 戸惑いも露わにとっさに我が身を確かめる。そしてシドーの瞳が映したものは、覚えのある人の体躯ではなく、明らかにヒトのものではない巨大な体躯だった。
 慌てて己の顔をひと撫でする。しかし覚えのあるなめらかな肌はそこにはなく、ざらりとした手ごたえが返ってくるのみだ。視線を滑らせ、身体のあちこちを確かめる。身に覚えのないものしか視界に入らず、困惑する。
 これはなんだ? オレの身体はどうなっている? いったい何が起きているんだ?
 疑問ばかりが次々と浮かんでは消えていく。けれど、巡らせた視界に再びビルドの姿を認めた瞬間、シドーの思考のすべてが大切な友人のみに向けられた。
「ビルドっ!」
 慌てて床に倒れ伏す友人に声をかけた。慎重に身体を揺さぶり、遠い世界を見ているビルドの意識を手繰り寄せる。負っている傷が気になるが、何はともあれ現状を把握したかった。
「ビルド! しっかりしろ!!」
 しかし何度揺さぶりをかけても、ビルドの瞳はシドーを映さない。何処を見ているのかもしれず、ただ虚空に向けられたままだ。
 反応を返さないビルドに焦れて、シドーが歯噛みする。どうしたらいいのかを必死に考えるが、何も思いつかなかった。
 そんなシドーを嘲笑うように、身体の内側から精神を侵食するかのように、声が直接脳裏に響き渡る。
『起こしてやりたいのか? ならば動いてやるがいい。そら、』
 耳障りなその声とともに、何かが蠢く音がした。それが自分が動いた音だと気づくより早く、突如下腹部に走った甘い疼きに言葉を失う。
 未知の感覚に目を白黒させるシドーを後目に、身勝手にシドーの身体が動き出す。己の意思に従わぬ我が身が齎すその刺激は強烈で、思考が塗りつぶされていくような感覚を味わわされる。
 そんななか、シドーの身体の下に組み伏せられたビルドの唇から、あえかな声が漏れた。
「う……あ……ぁ…っ」
 その微かな声音がシドーの精神を揺さぶり、蕩けていくかと思われた思考の瓦解を食い止める。しかし次々と襲いかかってくる刺激はおろか、勝手に揺らぐ身体の動きも止められず、自由のきかない我が身への戸惑いも露わに、シドーは視線をビルドに向けた。
 揺れる視界の中で、ビルドの身体も揺れていた。巨大な体躯の影になり、碌に確かめることも出来なかった全貌が、そのときはじめて明らかになる。
 白い肌が薄暗がりに浮かんでいた。肌には乾いた血がこびりつき、あちこちに傷を負っている。そこまではシドーが目にできたそのままだった。けれど、その視線を下腹部に向けるなり、あまりの事態にシドーの息が止まる。
 小柄な身体が、巨大なものを咥えこんでいた。それは到底おさまりきれず、大半を呑みこみきれていなかったが、確実にそれはビルドの胎内の奥深くまで侵入を果たしていた。そしてその巨大なものは、この体躯の持ち主……つまりシドーの性器そのものだった。
 大切な友人の身体を貫き、擦りたてる己の身が信じられない。そして、そこから伝わる熱く甘い感触に、気が狂いそうになる。
「や、め………やめろ…………」
 喘ぐようにシドーが呟いた。
 頭を抱えて首を打ち振るう。けれどシドーがどんなに嫌がっても、身体が勝手に動作を繰り返していく。
 白い裸身が無惨な凌辱を受け、弄ばれている。そのさまを見たくなくても瞼を閉じられず、どんなに目を背けたくてもかなわない。
『ハハハ……何をいやがる必要がある。この者は我への生贄よ。生贄をどう扱おうが我の勝手だろう。そして今宵の我は興が乗ったのだ。我が味わうべき愉悦を貴様にもくれてやろう』
 そら、楽しむがいい――
 嘲笑が脳裏に響き渡り、細い身体を深く味わう。狭い胎内を押し上げ、苦しいのだろうか、顔を歪めるビルドが眼下に見えた。ぼろぼろと白い頬を涙が伝い、唇から悲鳴が漏れる。
 聞きたくない哀れな悲鳴が耳に入り、シドーは喉から血が出んばかりに叫んだ。
「やめろっ、やめろおおおおおおお!!!」
 けれど、身体の自由は一切きかない。意識は確かにそこにあるのに、その場を完全に支配しているのはシドーでもビルドでもなく、破壊を司る神だった。
 破壊神の残虐な戯れが心を引き裂く。
 大切な友人のシドーだった存在に無惨に犯され、凌辱されるビルダーと、大切な友人を自由のかなわぬ我が身で犯すしかないシドーの心を、壊して踏みにじっていく。
 かつて信頼しあい、頼れる存在同士だった二人がともに神の手によって弄ばれ、嘲られる。
 あんまりだった。こんなことがあってたまるかと、どんなに否定しても現実は覆らない。
 冷たい床の上で強制される交わりは幾度も続き、絶望と快楽にすべてが塗りつぶされる。やがて抗う力すら失って、弱々しい否定だけがシドーの唇から漏れだした頃、それまで余興を楽しんでいた声が一石を投じてきた。
『何を否定する? 何故やめようなどと思うのだ? これは貴様の願望だろう。このビルダーを抱きたかったのだろう。我が物にしたかったのだろう? 他の誰のものにもしたくなかったのだろう』
 心底不思議そうな声だった。しかし、ありえないとシドーは首を振る。そんな願望なんて、持ってない。
 ――けれど。
『本当にそうか?』
 確かめる声に、シドーの心が揺らぐ。
 本当に、本当にそんな願望が一切なかったと言えるのか。ビルドを、大切な友達を我が物にしたくなかったなどと、はっきりと言い切れるのか…?
 黙り込んだシドーの脳裏に、再び嘲笑が響き渡る。
『素直になるがいい。そして、その手でビルダーを我が物にするがいい。そうすればこの者は永遠に我と貴様のものだ――!』
 それは果たして、甘い誘惑だったのか。それとも苦渋の決断だったのか。
 揺さぶりをかけられ、疲弊した心が千々に乱れる。自分を必要としなくなってきた、信用されていないのではと疑ってしまった友達のうすぼんやりと虚空を見つめる瞳に、胸が痛む。
 どうしたらいいのかわからず頭を抱えるシドーに、悪魔が囁きかけてくる。
『すべてを壊せ。何もかもを破壊せよ。あらゆるものを破壊しつくし、そして――……』
 最後のひと押しの誘惑が、シドーの心に影を落とす。しばしの沈黙の後、シドーの手がゆっくりと動いた。
 繋がったままの細い身体をなぞり、大切な存在に目を向ける。
 もう何も映していない瞳を覗き込み、初めて心を込めてビルドを呼んだ。
「ビルド………、………して、る」
 そして、その手に力を込めた。急速に息吹が失われていくのを感じる。そしてその瞬間、聞こえるはずもない微かな声が、聞こえた気がした。
「………………………シドー………」









 破壊神の手によって、ビルダーの生命の息吹が消されたことを確認して、ハーゴンは元の部屋に戻ってきた。
 部屋の中央には破壊神がそのまま宙に浮かび、命尽きた人間を見下ろしている。その光景に歓喜しながら、いよいよ訪れる破壊の時に心躍らせる。
 ハーゴンに気づいた破壊神が言った。
『聞かせよ、ハーゴン。汝の望みを』
 その問いに迷いなくハーゴンは答えを返す。このまぼろしの世界を壊し、自分と破壊神をともに屠ったあの現実の世界をも、すべて破壊しつくすのだ。
 それが望み、それが願い。
 そしてそれをよしとする破壊神がその強大な力を振るう。
 一瞬にして巨大な建造物が吹き飛んだ。その際、床も何もかもが破壊され、あの憎きビルダーの姿も見えなくなった。
 破壊の神によって、塵のように壊されたのだと歓喜する。これで何も憂えるものはなくなった。
 破壊神の心に揺さぶりをかけるいけ好かない人間はもういない。後は、我が望みが叶えられていくさまを見ていればいいのだ。
 宙に浮きあがり、神の力を行使する破壊神のあとをハーゴンは追った。
 容赦なく、迷いなく。破壊の神はいかんなく力を振るう。巨大な腕が宙を掻き、無惨に破壊天体の一部が壊されていく。やがてそれは他の場所へと及び、破壊神の仮の姿の少年とあのビルダーが出会った運命の島さえも屠り、まぼろしの世界は粉々にされて終焉を迎えるのだ。
 待ち遠しいその瞬間に夢中になる。次々と壊されていくものに、視線が釘付けになっていく。
 だから、ハーゴンは気づかない。
 塵のように壊されたはずのビルダーが、破壊神のてのひらのひとつにそっと覆い隠されていたことに――。



 何もかもが消え去った。
 あらゆるすべてのものが破壊神の手によって壊され、塵芥と化していった。
 闇に呑まれるように、破壊されていく。からっぽ島も、モンゾーラもオッカムルも。そしてムーンブルグも壊された。数ある島々も跡形もなく消され、まぼろしの世界が崩壊を迎えた。そして、目の前に現れた現実の世界にもその手を及ぼす。
 まぼろしではないムーンブルグを手始めに、次々と世界が崩壊していく。あまりにも唐突な破壊の力に、抗えるような者は現れず、ただその暴虐を世界は受け入れることしかできない。
 そして、すべてが終わりを迎えた。
 最後の最後に、願いを叶え終えたハーゴンの魂までも破壊しつくた破壊神は、ようやくその手を止めた。
 ――何もない世界が広がる。
 他に存在するものは何もなく、そこにいるのは破壊神シドーだけだ。
 生きとし生けるものはおろか、死んだ魂さえそこにない。無限に広がる無の空間だけがそこにある。
 そんな何もない世界でようやくその手を広げた。
 てのひらの上には、呼気がとまり、血の気が失せているビルドのなきがらがあった。弱々しく脆いそれを、大事に大事にとっておいたのだ。
 いつでもそれを破壊することはできた。現に、破壊神はそれを幾度も壊そうと試みていたのだ。けれど、出来なかった。……否、させなかった。
 そして魂さえ逃がさなかった。それを赦そうなどと欠片ほども思わない。
 てのひらの上のビルドに、破壊神が力を振るう。なきがらに神の力がそそがれ、淡く身体が光り輝いた。その光がゆっくりとおさまり、数秒後、ごほ、と息絶えたはずの身体がせき込み始める。息を吹き返したのだ。
 それは奇跡なのか、あるいは呪いなのか。
 蘇生したビルドを、破壊神が静かに見下ろした。息を吹き返したとはいえ、全身は戦いと凌辱によってぼろぼろで、治さなければまたすぐに息絶えかねない危険な状態だ。そんな姿を見たくなくて、続けざまに力を振るう。
 見る間にあらゆる傷が癒え、痛みさえも消えていく。衣服ばかりはどうにもならなかったが、傍目にはもう傷ひとつない。
 ややあって、閉ざされていたビルドの瞼がゆっくりと開いた。命を終える前は虚空しか映していなかったその瞳が、ゆっくりと瞬きを繰り返した後で破壊神の方に向けられる。そして、その唇が震えながら動いた。
「シドー……?」
 その声に、胸の奥が熱くなる。最初に口にしてくれた名前が、どちらをさしているのかなんて考えるまでもない。
「ビルド」
 静かに、シドーは大切な存在に声をかけた。面影すらないこの姿になってさえ、ビルドはわかってくれた。そして、呼び声は力となっていく。
 あらゆる力を振るい続け、疲弊した破壊神が何か叫んでいた。しかし、そんな声はもう聞こえない。彼を崇めるもの、彼を信奉するもの、彼が破壊するものはもう何もない。代わりに呼ばれるのは、破壊神が己の弱い証と言いきる存在であるシドーと、彼を呼び創造の力を持つビルドだけだ。
 他にはもう、何もない。すべて消えてしまった。
 そんな世界で、二人が向かい合う。破壊神によって無惨に壊されたはずの心は、互いを認めた瞬間に癒えていく。強制された行為自体には気恥ずかしさが伴うが、…それだけだ。
 変わり果てたシドーの身体が、ゆっくりと見慣れた姿へと変貌を遂げていった。その変化を目の当たりにしながら、怯えることなくビルドは佇んでいた。
 そして、二人手を取り合って、無の世界へと落ちていく。
「――ビルド、オレのためにまた何か作ってくれるか?」
 この何もない世界で。
 あたたかな手が触れて、ビルドは眦に涙を浮かべながら頷いた。そして、その唇が続けざまに一言を漏らす。
「おかえり、…シドー」
 光が差す。
 やがて、その光は―――………










リク内容
破壊神の姿だけど意識はまだビルドくんを友達だと思ってるシドーとのmaguwari