静まり返った寝室でシドーはゆっくりと瞼を押し上げた。
室内の明かりはすでに落とされていた。薄暗く、よほど夜目がきかなければ何処に何があるのかも定かではない。廊下の常夜灯が閉ざされたドアの隙間からほのかに入ってくるが、この室内における光源としてはほとんど役になっていなかった。
そんな暗闇の中を、シドーは音もたてずに起き上がり、そっとベッドを降りて歩き出す。ひたひたと冷たい床の感触が足の裏に伝わるが、まったく気にならなかった。そしてその足取りには迷いはなく、確信をもってそこにたどり着く。
シドーの赤い瞳が、それを静かに見下ろした。先程まで横たわっていたベッドから距離にしてほんの数歩の場所に置かれた、もうひとつのベッドの上。無警戒で無邪気に眠る姿がそこにある。
静かにその胸は上下していた。穏やかな寝息は一定で、起きだす気配は微塵もない。それでも確かめずにはおれず、シドーはそっとその手をかざしてみる。反応はなかった。
ほっと息をついて、ようやくシドーは身体を屈めた。きしりと音を立てながら、ぐっすりと眠りこんでいる友達の寝顔の横に手をついた。その音にさえ起きないのだから、よほど眠りは深いのだろう。
間近に寝顔を覗き込み、黙って長い睫毛が縁取る瞼にシドーは唇を落とした。次いで、力が抜けてほんのりと開く唇へも、それを重ねる。掠める程度のくちづけはそれで一度終わり、シドーは細く息を吐いた。
後ろ暗い感情がひたりと胸の中を侵食する。それでもやめられないのだと己に言い聞かせて、シドーは強く唇を噛んだ。
ぷつり、と聞こえないはずの音がしたような気がする。その直後、じわりと己の唇に滲む鉄のにおいを感じてから、シドーは再び無警戒な唇にそれを重ねた。滲んだ赤色をなすりつけるように触れ合わせ、次にそれを舐めとって薄く開いた唇に運んでいく。ちろりと口内にそれを塗り付け、深く唇を合わせる。
息苦しさからか、無意識にか。こくり、と眠っている友達の喉が動く。――飲みこんだと判断して、するりと唇を離した。
治癒力の高いシドーのささやかな怪我は、もうその頃には跡形もなく癒えている。それでも鉄のにおいが鼻について、シドーは思わず己の親指でそこを拭ったが、無防備な方はどうだろう。誘惑に負けて、念のためだと言い訳を胸に再び唇を重ねる。やわい感触がたまらなく愛おしく、離れがたくなる。
しかし、幾ら一度寝落ちたらなかなか起きてはこないとはいえ、何があるのかはわからない。
名残惜しさに後ろ髪を引かれながら、シドーは眉を寄せて身体を起こした。そしてもといた場所へと静かに戻っていく。
静かにベッドに横たわり、一連の作業を無事終わらせられた達成感と、あとどれくらい同じことを続ければいいのかと思案する。ちらりと数歩分離れた先の寝顔に視線を送り、変化を確かめる。
今見た限りでは何の変化も起きてはいない。けれど――
いつだったか耳にしたのだ。
ヒトは、口から摂取したものによって身体が構成されるのだと。
口から様々な食物を食べ、栄養を採り、血肉が作られていくのだと。
それを聞いた時から、ずっとこうして試している。
ヒトが口から摂取したものが、もし――破壊神だった男の、血肉なら…………?
微かな、そして後ろ暗い願望だ。
ヒトをヒトではなく、別のものに作り変えてしまうかもしれない、願望。
そしてそれを、シドーは秘密裏に行っている。もう何日も、何日も。
一度には摂取させず、少しずつ、少しずつ。
果たして、それはいつ変わるのだろう。そしてその変化に気づいたとき、彼はどう思うのだろう。
それでも。
彼をヒトに留めておきたくなかった。自分と似て異なるものにしたかった。
ずっと、彼といるために。
「ビルド……」
静かな室内に、シドーの声が静かに落ちる。
オマエは、オレを咎めるか?
疑問は口には出されず、シドーの胸の中に秘められる。それは幾夜も降り積もり、やがて―――……
リク内容
血か白い種を悟られないように与えて主人公君を少しずつ人間やめさせようと目論むシドー様でお願いします!